九井諒子という天才が紡ぎ出す物語を読んでいると、自分が今どこにいて、何のために生きているのかという現実の座標すら曖昧になる。今回読み返したのは短編集『竜の学校は山の上』だ。長編で緻密に世界を構築する力も凄まじいが、短編における「たった数十ページで人生をひっくり返す」爆発力は、もはや魔法としか言いようがない。

収録されている一つひとつの物語に共通するのは、ファンタジーという舞台装置を借りながら、誰の心にも潜む「どうしようもない孤独」や「他者との分かり合えなさ」を残酷なまでに優しく照らし出す視点だ。例えば、竜を育てる日常の裏にある哀愁や、魔法が存在する世界における歪な家族の形。それらがドット絵のように積み重なり、ページを捲り終えた瞬間に「あぁ、自分は人間として生きていたんだな」という静かな震えが全身を駆け巡る。

派手な戦闘シーンがなくても、セリフの行間に漂う静寂だけでこれほどまでに読者の情緒をぐちゃぐちゃにできる漫画家が他にいるだろうか。この短編集を読み終えた後、ふと見上げる空や、すれ違う他人の背中が少し違って見えるのは、間違いなく九井諒子が我々の認識を書き換えてしまったからだ。エンターテインメントの枠を軽々と超えて、読むたびに新しい「人間の深淵」を見せてくれるこの一冊、もはや芸術品として本棚に殿堂入りさせるべきだと思う。